満福寺

満福寺
出雲三十三観音霊場第13番札所
満福寺は、天平17年(745年)に行基が創建したといわれ、33年に一度開扉される本尊の「千手千眼観世音菩薩(せんじゅせんがんかんぜおんぼさつ)」も行基の作といわれています。
●宗 旨/高野山真言宗
●ご本尊/千手千眼観世音菩薩
この周辺は静寂そのものであり狭い石段を登って行き、古びた鐘楼門をくぐると正面に入母屋造リ赤瓦葺きの三間四面の観音堂が目に飛び込んできます。
満福寺は、神宮寺の格式をもち祈祷道場として日登へ鎮守したことから日登山と号し、天平十七年に行基が創建しており、仁王門の両尊<約2.2メートルの立像>と千手千眼観世音菩薩<約1.7メートルの立像>は行基の作で、特に本尊の千手千眼観世音菩薩は光背をいれると約2.6メートルもあり三十三年ごとに開扉される秘仏です。
かっては当寺より800メートルはど坂道を上った山上の一帯に十二坊という大伽藍を配し、毛利家の祈願所として僧兵を抱えており、二百石の寺領を有していたとあります。
永禄十二年ごろ度重なる毛利と尼子の戦いに、ある時は毛利の三沢氏に通じ、ある時は止むなく尼子に便利を図って、寺の存立のために色々と万策を練ったのだと思われますが、兵火にかかり焼失しています。危うく戦火を免れた観音堂、持仏堂、仁王門、鐘楼門等が規模を縮小して現在地に移転をしていますが、慶長六年に快香上人によって復興するまでは荒廃の年月を僅かに雨露をしのぐ程度の草庵で暮らし過ごしておリ、このころ寺の縁起寺録の殆どが火盗の難に遭い紛失をしています。
また、宗教界の傑僧といわれた雲照和上の弟子であり、満福寺第二十二世住職の宣猷和上が、東京の目白僧園で雲照和上の助修をしておられたころ、宮中へ幾度か御修法に上がられた折り皇室から下賜されたものをはじめ、雲照和上、宣猷和上に関する数々の貴重な寺宝があり、これを収蔵するための宝蔵庫が帰依する人々の浄財によって落慶しました。
住所 | 雲南市木次町西日登577 |
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駐車場 | あり |
問い合わせ | TEL:0854-42-1732 |
ホームページ | https://manpukuji.wixsite.com/manpukuji |
備考欄 | 【行事】 初護摩祈願会 1月1日 星まつり 2月3日 涅槃会 2月15日 大般若祈願法要 4月17日 十七夜祭 8月17日 |