弘安寺

弘安寺
出雲三十三観音霊場第15番札所
弘安寺は、もとは松渓院と称し、広瀬町富田の地に天平11年(739年)に開かれたとされます。
戦国時代、尼子氏の祈願所でしたが、尼子氏の衰退とともに現在の大東町南村の地に移され、尼子氏家臣の牛尾氏の菩提寺となり、その後の牛尾氏の衰退によって弘安寺と名前を改めたといわれています。
観音堂の向拝の天井には、いつの時代かは不明ですが龍の墨絵が勇壮に描いてあり、歴史を感じさせます。
●宗 旨/曹洞宗
●ご本尊/十一面観世音菩薩
松の参道、石段を登り山門をくぐると正面に本堂、左側に明治十一年の再建、重層寄棟造り中世の仏殿の様式を伝える観音堂があり、堂内中央に秘仏十一面観音、左に元松渓院本尊の聖観音がまつってあります。
寺伝によると弘安寺は、もと松渓院と号し能義郡広瀬町富田塩谷の地にあり、天平十一年に開かれました。応永五年十八代住職の時、法相宗より曹洞宗に改宗となりました。尼子経久公祈願所として能義、伯耆などに寺領を持っていたが尼子氏衰退にともない現在地に移され、尼子氏の重臣牛尾氏の菩提寺となったが、のち牛尾氏の落亡によって殿堂の半ばを減じ金峰山弘安寺と寺名を改めたと伝えられています。
その後、江戸時代には松江藩主からの度々の寄進を受け堀尾忠晴、松平直政公を始め諸公の寄進状が残されています。
十五番札所本尊の十一面観音は弘安寺とは由緒を異にし、養老元年加賀白山を開かれた泰澄大師の作で白山宮の白山権現と同木同彫といわれ、久しく越前大野で崇拝されていたが、「大悲不思議の霊告を蒙り此地に来居し給う」と記されている霊験あらたかな観音様であります。
出雲観音霊場崇敬の念から、昭和三年に海潮観音祭りが始められ四月十六日に地区内三十三ヶ所に祭られた観音様を巡拝して回る信仰篤き行事も続けられています。
風払世塵満日清 露洒新樹客心明
閑庭懐古弘安寺 総是観音微妙声
海潮観音祭り十周年を記念して、お招き致した京都清水寺貫主 故大西良慶老師の詠まれた詩です。
住所 | 雲南市大東町南村319 |
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駐車場 | あり |
問い合わせ | TEL 0854-43-5748 |
備考欄 | 【行事】 海潮観音祭 4月15日~17日 観音講 毎月17日 大般若祈祷法要 施食会 涅槃会 |