なぜ雲南市吉田町が世界から注目されているのか!?

なぜ雲南市吉田町が世界から注目されているのか!?

なぜ雲南市吉田町が世界から注目されているのか!?

#特集 #雲南市のすごいもの

島根県雲南市吉田町は、人口1,600人強の小さな街です。面積のほとんどが山林で、のどかな空気が流れる田舎町。そんな吉田町が、今世界から注目を浴びています。なぜ、この山奥の小さな地域がそれほどまでに脚光を浴びるのか、島根大学に留学中のモネ、セルス、フランスから日本に移住したサーシャ、そして日本人の島根大学生たちが調査のため吉田町に向かいました。

吉田町といえば「たたら製鉄」の町。たたら製鉄とは、約1,500年前から近代まで行われてきた伝統的な製鉄法。森林資源が豊かなこの地で発達した、砂鉄を原料に鉄を取り出すという世界でも珍しい製鉄法です。今回は、全国で唯一現存する製鉄作業施設の「菅谷たたら山内」の施設長、朝日光男さんにお話をうかがいました。

―〈高殿の中に入って〉写真で見るよりかなり広い空間が広がっていますね!

(朝)炎が1〜2m、それ以上のところまで上がりますから、天井の穴から熱が風にのって抜けるように設計されているんです。

―ひんやりとしていて、ピンと張り詰めた空気が漂っています。ちょうど神社に来たような感じ。

(朝)子供の頃はここがいい遊び場だったんですよ(笑)。落書きも残っています。改修時に本当は消したかったんですが、歴史的価値のある建物ですから消してはだめだそうで。

―ここで遊ぶなんてすごいですね(笑)。この四角い浴槽のようなところで鉄をつくり出すんですね?

(朝)これが「炉」と呼ばれるものです。大量の木炭を使って1,400℃以上にまで温度を高め、砂鉄から鉄を取り出します。炉自体は小さく見えるでしょうが、実はこの下には深さ4mの地下構造があるんですよ。水蒸気爆発を起こさないように、湿気をシャットアウトする構造になっています。炉の左右には火を燃やす際の送風装置の「ふいご」があって、これを人が足で踏んで風を送るわけです。風を送る人は「番子」と呼ばれていました。交代で風を送ることから、「かわりばんこ」(=交代に)という言葉が生まれたと言われています。

―この風を送る装置は有名なアニメ映画で見たことがあります!かなりの重労働ですね。

(朝)そうですね。ですから1906年以降、水車に土管をつけて風を送る装置が作られました。土管も地下につながっていますが、中がどのようになっているか私も知らないんですよ。

―そういえば高殿の周りに川が流れていますね。気持ちいい風が常に吹いています。地形をうまく利用したアイデアですね。

(朝)この高殿も、風の通り道を利用して建てられていますからね。昔の人の技術と経験、知識には脱帽です。でも1751年から約150年間は人力だったわけです。三日三晩交代の作業ですから、装置ができるまでは大変だったと思いますよ。

―それにしても砂から鉄ができるなんてすごい技術ですね。

(朝)そうですね。鍬で山を削って、水で洗うことで比重を利用して砂と砂鉄を選別するんです。これを「鉄穴流し(かんなながし)」と言います。膨大な量の砂を使いますから、江戸時代までは下流の農民との争いが絶えなかったそうですよ。そこで農期を避けて毎年9月〜3月を操業期間として、4月〜8月は操業しなかったそうです。

砂鉄から生まれた高品質の鉄は、「玉鋼(たまはがね)」と呼ばれ、日本刀の材料に利用されました。現代製鉄技術をもってしても「玉鋼」ほど高純度の鉄をつくることは難しいんですよ。実際、戦後近代工業化が進んでたたら操業がされなくなると、蓄えていた玉鋼が底をつき、日本刀が存続の危機に陥りました。現代の技術で玉鋼をつくろうとしても、つくれなかったのです。「折れない、曲がらない、よく切れる」ということが求められる日本刀に、玉鋼は不可欠なんです。

たたら製鉄で取り出された純度の高い鋼である「玉鋼」。ずっしりと重く、ゴツゴツした表面の中に凛とした空気を感じる。

―たたらに関わる人たちは、高度な技術者集団だったんですね。

(朝)はい。当時、この集落は鉄づくりの集団だけが住んでいました。現在もその呼び名が残り、「菅谷たたら山内」と呼ばれています。たたらは「田部家」のもとで操業が行なわれ、「村下(むらげ)」と呼ばれる技術者集団の長が技術者たちを束ねました。炉に使う土の選定から築炉、精錬においては原料の砂鉄や木炭を投入するタイミング、送り込む風の量など、工程の全てが村下の経験と勘にゆだねられたんです。厳しいしきたりのもと、人々は強い結束をもって鉄づくりに励みました。村の中心部から離れた山奥で共に暮らすことで、鉄づくりの技術を守ってきたんですね。

―日本刀の材料を作っていたということなんですが、今フランスでは日本ブームで日本刀が人気なんですよ。

(朝)はい、近年フランスの方が非常に興味を持ってくださっているようですね。実は数年前、フランスのテレビ局が取材に来たんですよ。私がフランスのテレビに出演しているはずです(笑)。日本人の芸能人はもちろんたくさんいらっしゃってますけどね。たたらをテーマにした映画も撮影されましたし。

―フランスの日本刀ブームの影響で、吉田町に訪れる人が増えているとも言えそうですね。先程の話で、大量の砂や木を使用したということですが、農民との争いの他に、環境への影響はなかったのですか?

(朝)まったくなかったとは言えません。しかし、この地域では環境への影響に配慮し、持続的に自然環境と共存するやり方を見出してきました。植林など森林資源の管理を行ったり、砂鉄を採取した跡地を広大な田畑へ整備したりしました。これほど環境と共存できるやり方の産業は世界的にも珍しいのではないかと思います。その副産物というわけではないですが、この地域では良質の蕎麦や米が生産されるようになったんですよ。それらは今でもこの地域の名産品となっています。

―確かにこの地域の蕎麦や米はとてもおいしいですね。たたら製鉄が生んだ名産品というわけですね。

(朝)そうですね。この地域で作られる蕎麦は、香りがしっかりしていて、歯ごたえがあります。また、米も甘みがあり一粒一粒の味をしっかり感じられるのが特徴で、吉田町内の日本料理店「割烹すぎ原」でおいしいご飯が食べられます。

―おいしいお米があるということは、日本酒もおいしいでしょうね。

(朝)はい、よくご存知ですね。(笑)この地域には有名な酒蔵が多くあり、どれもおいしいですよ。

―ぜひいただきたいです(笑)。話をたたらに戻して……。今もたたら製鉄は行われているんでしょうか?

(朝)ここ雲南市では100年途絶えていたたたらですが、先程説明した「田部家」が中心となり2018年から操業を復活させました。また、雲南市では近代たたらを実際に操業体験できる「たたら体験プログラム」があり、一般参加が可能となっています。

―ぜひ行ってみたいです!すごい迫力でしょうね。そのほかにたたらにまつわる施設や産品はありますか。

はい、まだまだありますよ。「鉄の歴史博物館」ではたたら製鉄の歴史や技術に関する資料が多数展示されています。館内のドキュメンタリー映像では、たたら操業で鉄が出来上がる様子が見られます。感動しますよ。等身大の人形もあって迫力満点です。「鉄の未来科学館」では、近代製鉄への変遷から未来の製鉄を考える資料展示を行っていて、広大な敷地の中でゆったり見て回ることができます。たたら鍛冶工房では、釘からペーパーナイフをつくる体験プランもあって、こちらも楽しめますよ。ぜひ五感でたたらの歴史を感じてみてください。

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